雨ふりL'Aquila

※まず、皆さんはL'Aquila(ラクイラ)という町をご存知でしょうか。

相当なイタリア好きではないけれど、聞き覚えがある.
という方も多いと思います。

2009年の1月~4月にかけて起こった大地震の影響で壊滅的な被害を受けた町です。

これから書く記事の内容は、ラクイラへ行く旅路となります。

地震は、ラクイラへ行った後2~5ヶ月間に渡り起こりました。

記事の中にも登場する女の子のことを私はずっと心に引っかかっており、

もし、これを読んでくれているあなたが何か情報をお持ちならお知らせ頂けたら幸いです。

このことはイタリア語でも記事にしようか現在検討しています。

それでは記事へ移ります。










2008年11月24日(月)

今日はFirenzeとお別れの日(涙)

いつもの如く朝6時台には起床。

自分、イタリアへ行くと朝激早の巻。
(これは結構オドロキな発見で、己の可能性を見出せた)

朝ごはん。

あれ、なにやら雨音の気配がするゾ・・・
と、嫌な予感がしたので、
そのへんをうろついていたホテルの支配人的なおじいちゃんに

Oggi piove?(今日は雨ですか?)と聞くと

Si, brutta brutaaaa(あぁ。酷い天気じゃぁ~)

と言いながらどこかへ去って行った。

旅のここまでは、曇天があるもなんとか持ちこたえ順調にきていた。

しかしイタリア、実は雨季である。

11月はかなりよく雨が降るので、旅行をプランニングする際は念頭に置いておいたほうがベター。
その時期、航空券がとても安いというメリットはあるけれど。

煩わしさでしかないスーツケースと共に、さらに傘がおまけされて、泣く泣くホテルREXをあとに。



今日はこれから、L'Aquilaという町へ向かう。

観光地としてまったく名を馳せていない土地なので、
友達にも「なんでそんなとこ行くん?」と言われたが、
私の希望であった。

有名な観光地ではなく、
イタリアの人々が普通に静かに生活しているようなところ、
しかも自然が豊かなところへ行きたい想いがつよく、

きっとなんもないよ~。と周りに言われようと、
なぜかどうしても行ってみたかったので
OKと言ってくれた友人に感謝している。

※しかし、そのおかげで下調べは大分苦労した。
行ったことがある人もいなければ、ネットでなかなかこれといった情報が出ない・・しかもイタリアの鉄道会社であるTrenitaliaのホームページはもちろんイタリア語なので乗り換え案内を調べるだけでも、そもそも便があるのかさえもかなりふわっとした謎に包まれたまま、当日を迎えた。



【この矢印のようにビヨーンと
行けたらどんなに楽か】
ラクイラはイタリア地図のこの辺りに位置するので、
フィレンツェから列車で行く際にペルージャという町に立ち寄る予定でいた。

サッカー好きはNAKATAとして、チョコレート好きはチョコ経由で、耳に馴染みのある町かもしれない。

ペルージャにショートステイ歴がある友人がわざわざ写真付きで
パンフ的なものを手づくりして渡してくれていたので、立ち寄れることを私自身楽しみにしていたが、

トレニタリアがエキセントリックな動きを見せたため、
ペルージャ行きは断念せざるを得なくなった。

Treno(電車) + Italia(イタリア) = トレニタリア

という造語は可愛いが、
鉄道の遅れやホームはコロコロ変わり

ホームページと全然違うやん。
と言いたくなるような路線の変更をお見舞いしてくれる。

おもしろいと言えばそうでもあるけど、タイトにスケジュールを組んでいるトラベラーにとってはたまにどぎつい。



そしてここからが果てしない旅の始まりなのであった。

ラクイラは田舎で、NOT観光地なので乗り換えは必須。

それはいいとして、乗り継ぎの駅(名前忘れた)が小さく、
外にむき出しであり、めちゃくちゃ寒い。

しかも次の便までの約2時間をそこで過ごすはめになった。

私たちは小さいスペースの中で一番風が当たらないであろうポイントを見つけ出し、そこへスーツケースを置き、椅子代わりに座って耐えた。

途中、トイレへ行こうと冷えた体をさすりながら向かうと、
トイレの前に頑丈な鎖がかけられていたので愕然とし
どうしようか考えながらしばらくウロチョロしていると、

どこかからひょこっと現れたtrenitaliaのおばちゃんが
「使っていいわよ!」って。

不思議そうに鎖を外すので、
じゃあ何で鎖かけとんじゃい!とこぼしそうになったが
そこは笑ってGrazie。


ようやく時間になり列車が到着したようなので移動するも、
そこで目にしたのは離されたようなホームに1.5両分ほどしかないミニミニ車両のトレーノ!

【しかも乗客は私達と、じいさんのみ】


マンマミーアで不安しかなかったが乗り込む以外に道はなく、
乗り込んだ。

車内はあったかく救われたが、走り進めるうちに外は
どんどん真っ暗になってゆき、雨はじゃじゃ降りで、

一体どこへ行ってしまうのか・・・と思いながら
(たとえて言うならまるで千と千尋のゼニーバの家へ向かう電車のよう)
あぁ降りないで・・と、乗車するときには頼りなく思われたじいさんが途中で下車する背中に声にならない叫びをかけながら

長い時間をかけて、どうやら終点。



これまた小さく暗い駅。

そこから、ホテルの最寄り駅までバスに乗らねばならんのだが
一体全体、バス乗り場さえわからぬ状態。

見渡してもバス停が、ナイ。

雨が強く打ち付ける、真っ暗で駅以外ほとんど何も見えない
シチュエーションが相まって、私の気持ちは不安でいっぱい、というか張り裂けそうだった。
(※後にも先にもこの時ほど不安な気持ちになったことはない)

男の子が一人そこに居たので、すがる思いで聞いてみると
「僕はここの人じゃないからわかんないや」
と言われてしまった。

でもすぐに、「あそこの女の子たちに聞いてみたら?」と
声を掛けてくれた。

おそらく年下であろう2人組の女の子で、
そのうちの1人が同じバスに乗るからと、笑顔でそばに居てくれた。

私たちは急に不安が解消され、
心強い味方ができた気持ちになれた。

彼女は肩にかかるくらいのショートカットで、
バイオリンケースを抱えていた。



ほどなくしてバスが来て、彼女は友人と別れ
私たちと共に乗り込んだ。

車内では、どこで降りるのかを尋ねられ、答えると
「それは私が降りたあとのふたつ先のバス停だから」と言い

わざわざ運転手のところまで行き、
私たちの降車駅を伝え、「必ず降ろしてあげてくださいね。」
と伝えてくれた。

「日本人だよね?こんにちは、ありがとう!」
と、知っている日本語を笑顔で話してくれたり

「バスのチケットの買い方わからないよね?」
と言って代わりに買いに行ってくれたりもした。

親切の限りをしてくれて、
あの子が居なければ路頭に迷うこと必至だったので
本当に助かったし、感謝・・・。

名前を聞けばよかった。



彼女が降りるところを泣きそうになりながら見送り、
残された私たちはちゃんと目的地で降車できた。

(そこにもバス停はなかった)

が、その後がまた一苦労。

とにかく暗闇。そして雨の中、山間部で坂が基本のラクイラで
ホテルを探して彷徨い続ける。

ミラノばりに。

でも不安の大きさが桁違いでラクイラが勝つ。

人がまるでいない中で出逢った貴重な人々に道やホテルを聞きこむが大して有益な情報は得られず。

その間にも坂でうっかり手を離すとスーツケースがゴロゴロ下に転がっていってしまう緊張状態の中、

脳みそは正常に働かず、
道の途中で見つけた夫婦にBuonaseraと言われた気がして、
大音量でブォォナセーラァァと返事をするも、
近くにいた彼らの友人に言っていたようでかなりビックリされた。

結局、カンで辿り着く。

2時間くらいかかった。

一体、旅をしに来ているのか、道に迷いに来ているのか・・・


今夜の宿は、Hotel San Michele。
(ホテル サン・ミケーレ)

心身ともにボロボロになったびしょ濡れのアジア人2人は、
無事にチェックインを済ます。

部屋に着くと、どっと疲労と安堵が押し寄せた。

とても清潔で可愛らしく心地の良い室内だったが
あまりにくたびれたため、

晩ごはんも食べずに死んだように眠った。










※冒頭に記したのは、バイオリンケースを抱えた女の子のことです。

憶測でしかありませんが、現在24~28歳くらいだと思います。

髪色はブルネット~ブロンドだったと思います。

何か思い当たることがあれば、よろしくお願いいたします。




コメント

  1. ラクイラに友達がいます。Facebookのグループで聞いてみましょうか?

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