Milanoの目覚め 初めてのイタリア
朝6:00に起床。
早い。
日本では昼過ぎまで寝ていられる私としては異常事態だ。
初っ端オドロイタのが、昨晩寝ついた格好からぴくりとも動いていなかった。
どんだけ熟睡してたんだ。
11月のMilanoは寒い覚悟だったが、それほどで一安心。
部屋の窓を開けると、そこには朝陽に照らされる早朝のミラノの街並みが見え、
なんてことないその景色にしばらく見入ってしまった。
今回の旅程は全11日間で、ルートは下記の通り。
(右画像 参照)
ミラノから入り、クレモナを経由してヴェネツィアへ。
その後、ボローニャ、フィレンツェと南下してゆき、
最後はローマから出る、という南下ルート。
朝食はたたみ5畳分ほどのバールのような空間。
カウンター越しにcappuccinoを提供してくれるおっちゃんと、先客が2名ほど居た。
小さなスペースの一角にはパンと、パンと、、なにやらパンばかりが並べられており、そのうちのひとつをいただいた。
特段期待をせず食べると・・・うまい。
激うまや。特にバターがふわふわでコクがあり、
ただの市販のものと思うが流石イタリアですな、と感動してしまった。
ブラッドオレンジジュースもとても美味でした。
そこに居たおっちゃんに、「日本人か韓国人のどっちかやろ~?」と話しかけられた。
しかし、その二択にするとはなかなかである。
パンなのですぐに食べ終わり、予定も詰まっているため
おっちゃん達と”Bouna giornata!”(良い一日を!)と言い合い、床が凄くきしむ朝食ROOMを後にした。
即ホテルを出てドゥオーモ、大聖堂へGO!
メトロはもちろん初めてで、やっぱり少し怖かった。
子どものためにお金おくれおばちゃんが電車の中で叫びながら歩き回っていたが、皆完全無視をしていた。
慣れていた。
私たちは外国人だからか、話しかけてこなかった。
私はこの旅のためにアルバイトを沢山したし、生活も切り詰めて、やっとの思いでここに居るんだ。
という意識が強かったため、おばちゃんには渡すお金もつもりもなかったが、もしここが日本で同じ状況下にあった場合、私はどうするだろうとぼんやり考えた。
しばらくして、Duomoに到着。
地下鉄の階段を上がると忽然と姿を現し、
その大きさにまず圧倒!そして感動。
ちなみに、ずっとスーツケースを携えているわけだが、
投げ出したいくらいうざさが半端なかった。
スーツケースがあると小回りが利かず、旅の楽しさを半減しかねないことを今回の旅で学んだ。
是非、どこかへ預けたほうが良い。
広場には黒人のミサンガ売りが大量発生しており、ひょいっと投げて勝手に腕に乗せてきて買えと言うもんだから
注意が必要だけど、おもしろかった。
日本人の女の子ふたり組がおり、写真を撮り合いっこした。
そして、かの有名なショッピング街(のちにガッレリーアと知る)に行ってミラノを満喫^^
踵をつけ、くるんと回るとなんちゃら・・というスポットへも行き、ちゃんとくるっと回ってきた。ジェラートも食べた。
時間がないのでミラノ→クレモナへ。
今日はクレモナへ行った後ヴェネツィア入りするというハードスケジュールなのだ。
クレモナは、ヴァイオリンの町であり、友人の希望で訪れることに。
列車でわりとすぐに着いたので、とりあえず歩いてみることに。
クレモナの建物はキレイで色合いもかわいい。
町並み自体が整っているように見受けられた。
1つ気まずかったことが、ちょうど下校中の中高生の集団の中を延々と通らねばならなかったこと。
アジア人はただでさえ目立つというのに、
当時は観光地として名を馳せない小さな町にごついスーツケースを携えたものだから、
ニーハオ!やシェイシェイ!は勿論のこと、なんのスーツケースや?!とスーツケースも注目を集めてしまった。
見れたらいいな~と思っていたヴァイオリン作りは残念ながら叶わなかったが、町の散策は楽しかった。
見つけたBarで昼ゴハン。
チーズリゾットのようなものを食べたが、味はふつうだった。
お次はヴェネツィア。
が、列車がわからなさ過ぎて悪戦苦闘・・・
そこへ救世主舞い降りるの巻。
チケット売り場のおばちゃんが突然窓口を閉め、
わざわざ私たちのほうに来てくれて、
ホームまで連れていってくれた。
そのうえ、そのへんにパラパラと居る人々に
「Venezia行く人~!!」と声を掛けはじめ、
近くにいたおっちゃんが「俺行くけど?」と応えると、
「んじゃこの子たちも行くからそこまでよろしくね!」
おっちゃん「うい」
という流れで私たちをおっちゃんに託し、ニコニコっと笑い、窓口へと戻って行った。
ほろっとしてしまいそうな親切と優しさを当たり前のようにしてくれたおばちゃん、ありがとう。
それから、Veneziaへ着くまでの約5時間、
おっちゃんMassimo(マッシモ)が同行してくれた。
乗り換えもあったため、本当に助かった。
カタコトのイタリア語しか話せない私たちの話を理解しようと懸命に聞いてくれ、
彼は私たちが理解するまで丁寧にゆっくりと話してくれた。
長いようで短い時間の中で、色んなことを話した。
Veneziaには娘が大学のため一人暮らしをしており今日は会いに行くこと、
イタリア人にとってアフリカ人の体臭はキツく感じるが、日本人にとってイタリア人は臭くないか?などなど。
会話の中で、ふと「イタリアは怖いか?」とMassimoに尋ねられた。
私たちは「怖いよ」と返した。
かなり驚いた様子で理由を聞かれたので、
メトロの雰囲気や特にスリが多いことを挙げた。
すると彼は「確かにスリは多い。日本にはスリはあまり居ないだろう。でもそんなこたぁ大したことない、イタリアは殺人がとても少ないから」と言った。
私はそこでハッとした。
日本は安全と言われながらも奇怪な殺人事件は毎日のように報道されている。
正確な統計は知らないけれど、そこに住む国民が、命の安心をしながら暮らせることがなによりではないか、と思った。
時代や国の雰囲気は生きている人々の集合意識でつくられているため、国民のその安心感はとても重要に思えた。
彼のおかげでイタリアへ来てから張りつめていた緊張がふっとほぐれ、リラックスできたと思う。
私たちを乗せた列車はやっとVeneziaへ到着した。
彼とともにヴァポレット(水上バス)へ乗り、目的地へ。
娘さんが迎えに来てくれていて、嬉しそうにハグをしたあと、夜のVeneziaへと消えていった。
ありがとう、Massimo。
実は私たちにも迎えが来ていた。
2日間滞在する宿のオーナーさん。
○○時以降に到着する場合は迎えに行くので電話をください、というホテルの文章を幸か不幸か予約の紙の中に見つけてしまい、
Massimoに出会う前に電話をしなければならなくなった。
イタリア語に自信のない私たちが電話なんぞハードルが高すぎて棒高跳びのようだった。
無言で電話を差し出す友人の目が死にかけていたので、
仕方なく私がかけることに。
なんとかかんとか伝えることに成功したが、
変な汗をたくさんかいた。
良い経験になった。
そんな経緯で安心のお迎えがあり、入り組んだ島の道を
くぐり抜けなんなく宿へ到着することができた。
夜の町を少し散策し、Trattoriaで夕ごはんを済ませ、
陽気な店員の出してくれた無料のリモンチェッロを
半ば強制に飲まされ、ほろ酔い気分で帰宅した。
早い。
日本では昼過ぎまで寝ていられる私としては異常事態だ。
初っ端オドロイタのが、昨晩寝ついた格好からぴくりとも動いていなかった。
どんだけ熟睡してたんだ。
11月のMilanoは寒い覚悟だったが、それほどで一安心。
【ホテルの部屋からの眺め】 |
なんてことないその景色にしばらく見入ってしまった。
【旅のルート。ミラノin→ローマout】 |
今回の旅程は全11日間で、ルートは下記の通り。
(右画像 参照)
ミラノから入り、クレモナを経由してヴェネツィアへ。
その後、ボローニャ、フィレンツェと南下してゆき、
最後はローマから出る、という南下ルート。
朝食はたたみ5畳分ほどのバールのような空間。
カウンター越しにcappuccinoを提供してくれるおっちゃんと、先客が2名ほど居た。
小さなスペースの一角にはパンと、パンと、、なにやらパンばかりが並べられており、そのうちのひとつをいただいた。
特段期待をせず食べると・・・うまい。
激うまや。特にバターがふわふわでコクがあり、
ただの市販のものと思うが流石イタリアですな、と感動してしまった。
ブラッドオレンジジュースもとても美味でした。
そこに居たおっちゃんに、「日本人か韓国人のどっちかやろ~?」と話しかけられた。
しかし、その二択にするとはなかなかである。
パンなのですぐに食べ終わり、予定も詰まっているため
おっちゃん達と”Bouna giornata!”(良い一日を!)と言い合い、床が凄くきしむ朝食ROOMを後にした。
【朝に撮ったホテルの外観。0と9しかないボタン忘れないよ】 |
即ホテルを出てドゥオーモ、大聖堂へGO!
メトロはもちろん初めてで、やっぱり少し怖かった。
子どものためにお金おくれおばちゃんが電車の中で叫びながら歩き回っていたが、皆完全無視をしていた。
慣れていた。
私たちは外国人だからか、話しかけてこなかった。
私はこの旅のためにアルバイトを沢山したし、生活も切り詰めて、やっとの思いでここに居るんだ。
という意識が強かったため、おばちゃんには渡すお金もつもりもなかったが、もしここが日本で同じ状況下にあった場合、私はどうするだろうとぼんやり考えた。
しばらくして、Duomoに到着。
地下鉄の階段を上がると忽然と姿を現し、
その大きさにまず圧倒!そして感動。
【どかーん!と鎮座する大聖堂。こいつ本当に大きいんです】 |
投げ出したいくらいうざさが半端なかった。
スーツケースがあると小回りが利かず、旅の楽しさを半減しかねないことを今回の旅で学んだ。
是非、どこかへ預けたほうが良い。
広場には黒人のミサンガ売りが大量発生しており、ひょいっと投げて勝手に腕に乗せてきて買えと言うもんだから
注意が必要だけど、おもしろかった。
日本人の女の子ふたり組がおり、写真を撮り合いっこした。
そして、かの有名なショッピング街(のちにガッレリーアと知る)に行ってミラノを満喫^^
踵をつけ、くるんと回るとなんちゃら・・というスポットへも行き、ちゃんとくるっと回ってきた。ジェラートも食べた。
【ガッレリーア。でかい】 |
【世界一高級感のあるマクドと思っていたが、現在は閉店してしまったそう】 |
今日はクレモナへ行った後ヴェネツィア入りするというハードスケジュールなのだ。
クレモナは、ヴァイオリンの町であり、友人の希望で訪れることに。
列車でわりとすぐに着いたので、とりあえず歩いてみることに。
クレモナの建物はキレイで色合いもかわいい。
町並み自体が整っているように見受けられた。
1つ気まずかったことが、ちょうど下校中の中高生の集団の中を延々と通らねばならなかったこと。
アジア人はただでさえ目立つというのに、
当時は観光地として名を馳せない小さな町にごついスーツケースを携えたものだから、
ニーハオ!やシェイシェイ!は勿論のこと、なんのスーツケースや?!とスーツケースも注目を集めてしまった。
見れたらいいな~と思っていたヴァイオリン作りは残念ながら叶わなかったが、町の散策は楽しかった。
見つけたBarで昼ゴハン。
チーズリゾットのようなものを食べたが、味はふつうだった。
【黄色を基調としたクレモナの駅。また会う日まで】 |
お次はヴェネツィア。
が、列車がわからなさ過ぎて悪戦苦闘・・・
そこへ救世主舞い降りるの巻。
チケット売り場のおばちゃんが突然窓口を閉め、
わざわざ私たちのほうに来てくれて、
ホームまで連れていってくれた。
そのうえ、そのへんにパラパラと居る人々に
「Venezia行く人~!!」と声を掛けはじめ、
近くにいたおっちゃんが「俺行くけど?」と応えると、
「んじゃこの子たちも行くからそこまでよろしくね!」
おっちゃん「うい」
という流れで私たちをおっちゃんに託し、ニコニコっと笑い、窓口へと戻って行った。
ほろっとしてしまいそうな親切と優しさを当たり前のようにしてくれたおばちゃん、ありがとう。
それから、Veneziaへ着くまでの約5時間、
おっちゃんMassimo(マッシモ)が同行してくれた。
乗り換えもあったため、本当に助かった。
カタコトのイタリア語しか話せない私たちの話を理解しようと懸命に聞いてくれ、
彼は私たちが理解するまで丁寧にゆっくりと話してくれた。
長いようで短い時間の中で、色んなことを話した。
Veneziaには娘が大学のため一人暮らしをしており今日は会いに行くこと、
イタリア人にとってアフリカ人の体臭はキツく感じるが、日本人にとってイタリア人は臭くないか?などなど。
会話の中で、ふと「イタリアは怖いか?」とMassimoに尋ねられた。
私たちは「怖いよ」と返した。
かなり驚いた様子で理由を聞かれたので、
メトロの雰囲気や特にスリが多いことを挙げた。
すると彼は「確かにスリは多い。日本にはスリはあまり居ないだろう。でもそんなこたぁ大したことない、イタリアは殺人がとても少ないから」と言った。
私はそこでハッとした。
日本は安全と言われながらも奇怪な殺人事件は毎日のように報道されている。
正確な統計は知らないけれど、そこに住む国民が、命の安心をしながら暮らせることがなによりではないか、と思った。
時代や国の雰囲気は生きている人々の集合意識でつくられているため、国民のその安心感はとても重要に思えた。
彼のおかげでイタリアへ来てから張りつめていた緊張がふっとほぐれ、リラックスできたと思う。
私たちを乗せた列車はやっとVeneziaへ到着した。
彼とともにヴァポレット(水上バス)へ乗り、目的地へ。
娘さんが迎えに来てくれていて、嬉しそうにハグをしたあと、夜のVeneziaへと消えていった。
ありがとう、Massimo。
【ランドマークのリアルト橋】 |
実は私たちにも迎えが来ていた。
2日間滞在する宿のオーナーさん。
○○時以降に到着する場合は迎えに行くので電話をください、というホテルの文章を幸か不幸か予約の紙の中に見つけてしまい、
Massimoに出会う前に電話をしなければならなくなった。
イタリア語に自信のない私たちが電話なんぞハードルが高すぎて棒高跳びのようだった。
無言で電話を差し出す友人の目が死にかけていたので、
仕方なく私がかけることに。
なんとかかんとか伝えることに成功したが、
変な汗をたくさんかいた。
良い経験になった。
そんな経緯で安心のお迎えがあり、入り組んだ島の道を
くぐり抜けなんなく宿へ到着することができた。
夜の町を少し散策し、Trattoriaで夕ごはんを済ませ、
陽気な店員の出してくれた無料のリモンチェッロを
半ば強制に飲まされ、ほろ酔い気分で帰宅した。
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