Departure✈︎初めてのイタリア
今から9年前の2008年11月19日水曜日、私は関西国際空港に居た。
当時2回生の私は勉強の傍らキツキツにバイトを詰め、借りられる物はできるだけ友人に貸してもらい出費を抑え、なんとか旅費を捻出でき、この日を迎えた。
今では欠かせないクレジットカードすら、当時19歳の私にはなんだか手をつけてはいけないような恐ろしい代物で、カードで決済をするという発想がなかった。
(一応学生証にVISA機能が付いてはいた)
ちなみに当時ユーロは今より強く、1€約140円。
それでも3ヶ月前の夏頃には1€約180円だったため、すこしのラッキーさを感じていた。
航空会社はオランダのKLM。
関空自体も初、海外へ行くことも初、もちろん長時間の飛行機も初…と、
初めてのオンパレードで不安もあったけど、ワクワクのほうが断然上回っていた。
同行者は同じ学科の友人。ふたり旅だ。
もちろんツアーは使わない。
実は関空に到着するまでにちょっとしたトラブルがあった。
大阪で重いスーツケースを引きながら、空港行きのバス停へ向かっていたが、
着いたのはなんと伊丹行きのバス停。
完ぺきに間違えた。とにかくスーツケースが重くて既に邪魔なので結構イライラしたが、気持ちを切り替えてなんとかギリギリで無事バスに乗れた…
学科のみんなから行ってらっしゃいメールが来ていて、とても嬉しかった。
空港にてチェックインを済ませ、搭乗を待っていると、見慣れた顔を発見。
なんと、友達ふたり組と遭遇!
彼女たちはスペイン語学科で違う言語を専攻しているにも関わらず、
イタリアのほうが行きたいというおもろい人々で、旅を決めたそう。
同じ日に同じ航空会社の同じ便に乗っていくとは、奇遇にもほどがある。
初めてのフライトも、彼女たちとの遭遇でなんだか心強く感じた。
ヒコーキは、三列シートの窓側の席。
友人は真ん中。そして通路側にはものすごい体格の良いオランダ人の兄ちゃんが腰を下ろした。
彼が腰を下ろした瞬間、ふたりの心の中は"トイレめっちゃ行きづらいやん"というテレパシーで繋がったと思われる。
実際、とてもトイレに行きづらかった。
(これに懲りたので、以後の旅行は私は全て通路側で予約を取っている)
とはいえ、窓からの世界は格別だった。
3時間が過ぎたころ、スタバを発見。
入ってみることに。
日本でもよく頼む、チョコレートチャンククッキーをオーダー。
出てきたのはとんでもねぇ大きさだった。
左の茶色いマフィン(テーブルに直置きする友人・・・)でさえ普通より少しデカめサイズなのに、クッキーは日本のそれより1.5〜2倍の大きさ。期待した味は、大味だった。
店を巡るのも飽きたため、残りの時間の殆どをここで潰した。
フライトの時刻がやってきて無事搭乗も完了。
目的地のミラノまではここから約2時間。
小さな機体の最後部座席に座り、離陸するとすぐに軽食が運ばれてきた。チーズを挟んだサンドウィッチ。
チーズ好きな私は意気揚々とかぶりついたのだが、3秒後に非常に後悔をするこことなる。
びっくりするぐらいの不味さ(笑)
生まれて初めてあんなに不味いチーズを食べたと思う。
匂いはキツくなかっただけに不意打ちを喰らい、逆に写真を撮らなかったことを今では惜しく思っている。
好き嫌いがなく、大抵のものは残さず平らげる友人も一口食べ、そっと包みにしまっていた。
そして遂にミラノへ着陸。
とうとう着いてしまった、イタリアに。
”イタリア来たぁぁぁああああ!!!”と心の中で叫んだ。
無事荷物もピックアップできて一安心。しかし時刻は夜20:00を回っており、11月の北イタリアは真っ暗。ガラス越しの外の様子は何もわからなかった。
不安が少し芽生えるも、とにかく宿泊先があるミラノ中央駅へ行かねばと、急ぐ。
なんとかバスに乗り込むことに成功。時差のおかげでとにかく眠い。もう何時間起きてることか。
日本とは違う車線が変な感じ。ぼーっと、遠くに見える町の明かりを眺めた。
そしてそしてMilano Centrale (ミラノ中央駅)、着。
感動もつかの間、宿を探さなければ。
もちろん、予約は取ってある。
ただ、ホテルから送られてきた地図がテキトーMAXで、どの道を行けば良いのかまるでわからない。おまけに暗くて寒い。あまり人がいない。
★この時代、iphoneというものは無かった。
いや、アメリカでは製造販売はされていただろうが、日本市場にはiphoneの初期モデルが参入して4ヶ月程度だったので、ユーザーは少なくとも私の周りには皆無だった。
駅周辺にはタクシーの客寄せや花売りの黒人さんがうろうろしていてコワかったが、
人に道を聞く以外どうしようもないので、意を決して聞きまくった。
トータル、15人程は聞いたと思う。
でも、ほとんどみんな、本当に優しかった。
カタコトのイタリア語のアジア人に親切に道を教えてくれた。
(大半が間違っているとしても)
私たちが困ってる風に見えたのか、向こうから話しかけてくれるsignora(おばさま)なんかも居たりして、感激。
途中、住宅街で綺麗な格好をした50代位の夫婦が親切に道を教えてくれていた時、物売りの黒人男性が私たちの輪に入ってきた。
彼は、私たちが駅周辺に居るころに見かけて、気にかけてくれていたらしい。
しかし、その夫婦は彼を見るとすぐにガン無視し、追い払うような空気感を出し、彼は心なしかシュン・・としたように去って行ってしまった。
夫婦は私たちに「この辺りはね、移民や不審者も多くいてペリコローゾなの。だから十分気をつけてね。とってもペリコローゾ!」
危険という意味のペリコローゾを2回言われ、改めて気も引き締まったが、私はさっきの黒人さんが本当に気にかけてくれていたような気がして、すこし切なかった。
ミラノの実情を垣間見た気がした。
夜23:00頃、命からがら到着。
2時間以上を費やして探しまくった。
ホッとすると突然空腹を感じ、水もないのでボロボロの体に鞭打って外に出ることに。
近く(だと思ってたら遠かった)マクドナルドに入って水とナゲットをGET。
ぼちぼちおいしかった。
レジの横にスーツを決め込んだ黒人のお兄さんが仁王立ちしていて、何事?!と思ったが、警備員だった。
結局、深夜0:30に夜のミラノを徘徊していた(笑)
ホテルはなんとも小汚くて不衛生感まるだし。
エレベーターのボタン、0と9しかないし。
でも、日本人の宿泊者が居てちょびっと安心した。
2秒で寝れそうだったので明日の準備をサッサと済ませ、ようやく就寝。
ハードな1日であった。
当時2回生の私は勉強の傍らキツキツにバイトを詰め、借りられる物はできるだけ友人に貸してもらい出費を抑え、なんとか旅費を捻出でき、この日を迎えた。
今では欠かせないクレジットカードすら、当時19歳の私にはなんだか手をつけてはいけないような恐ろしい代物で、カードで決済をするという発想がなかった。
(一応学生証にVISA機能が付いてはいた)
ちなみに当時ユーロは今より強く、1€約140円。
それでも3ヶ月前の夏頃には1€約180円だったため、すこしのラッキーさを感じていた。
航空会社はオランダのKLM。
関空自体も初、海外へ行くことも初、もちろん長時間の飛行機も初…と、
初めてのオンパレードで不安もあったけど、ワクワクのほうが断然上回っていた。
同行者は同じ学科の友人。ふたり旅だ。
もちろんツアーは使わない。
実は関空に到着するまでにちょっとしたトラブルがあった。
大阪で重いスーツケースを引きながら、空港行きのバス停へ向かっていたが、
着いたのはなんと伊丹行きのバス停。
完ぺきに間違えた。とにかくスーツケースが重くて既に邪魔なので結構イライラしたが、気持ちを切り替えてなんとかギリギリで無事バスに乗れた…
学科のみんなから行ってらっしゃいメールが来ていて、とても嬉しかった。
空港にてチェックインを済ませ、搭乗を待っていると、見慣れた顔を発見。
なんと、友達ふたり組と遭遇!
彼女たちはスペイン語学科で違う言語を専攻しているにも関わらず、
イタリアのほうが行きたいというおもろい人々で、旅を決めたそう。
同じ日に同じ航空会社の同じ便に乗っていくとは、奇遇にもほどがある。
初めてのフライトも、彼女たちとの遭遇でなんだか心強く感じた。
ヒコーキは、三列シートの窓側の席。
友人は真ん中。そして通路側にはものすごい体格の良いオランダ人の兄ちゃんが腰を下ろした。
彼が腰を下ろした瞬間、ふたりの心の中は"トイレめっちゃ行きづらいやん"というテレパシーで繋がったと思われる。
実際、とてもトイレに行きづらかった。
(これに懲りたので、以後の旅行は私は全て通路側で予約を取っている)
とはいえ、窓からの世界は格別だった。
【ロシア上空。外気温は-55℃だった】 |
こんな景色でさえとても感動したし、凍った大きな湖などを見ては釘付けになった。
機内食はまったく口に合わなかった、というより不味かった。
軽食で出されたカップヌードルはお湯がぬるすぎて麺がカッチカチ。
そんなことも、全部が楽しかった。
そしてトランジットのためオランダ空港へ到着。
6時間の待ち、スタート。結構寒い。
幸いオランダ空港はキレイで大きくて広い。お店もズラーッと並び、暇つぶしにはありがたや。
機内食はまったく口に合わなかった、というより不味かった。
軽食で出されたカップヌードルはお湯がぬるすぎて麺がカッチカチ。
そんなことも、全部が楽しかった。
そしてトランジットのためオランダ空港へ到着。
6時間の待ち、スタート。結構寒い。
幸いオランダ空港はキレイで大きくて広い。お店もズラーッと並び、暇つぶしにはありがたや。
3時間が過ぎたころ、スタバを発見。
入ってみることに。
日本でもよく頼む、チョコレートチャンククッキーをオーダー。
出てきたのはとんでもねぇ大きさだった。
左の茶色いマフィン(テーブルに直置きする友人・・・)でさえ普通より少しデカめサイズなのに、クッキーは日本のそれより1.5〜2倍の大きさ。期待した味は、大味だった。
店を巡るのも飽きたため、残りの時間の殆どをここで潰した。
フライトの時刻がやってきて無事搭乗も完了。
目的地のミラノまではここから約2時間。
小さな機体の最後部座席に座り、離陸するとすぐに軽食が運ばれてきた。チーズを挟んだサンドウィッチ。
チーズ好きな私は意気揚々とかぶりついたのだが、3秒後に非常に後悔をするこことなる。
びっくりするぐらいの不味さ(笑)
生まれて初めてあんなに不味いチーズを食べたと思う。
匂いはキツくなかっただけに不意打ちを喰らい、逆に写真を撮らなかったことを今では惜しく思っている。
好き嫌いがなく、大抵のものは残さず平らげる友人も一口食べ、そっと包みにしまっていた。
そして遂にミラノへ着陸。
とうとう着いてしまった、イタリアに。
”イタリア来たぁぁぁああああ!!!”と心の中で叫んだ。
無事荷物もピックアップできて一安心。しかし時刻は夜20:00を回っており、11月の北イタリアは真っ暗。ガラス越しの外の様子は何もわからなかった。
不安が少し芽生えるも、とにかく宿泊先があるミラノ中央駅へ行かねばと、急ぐ。
なんとかバスに乗り込むことに成功。時差のおかげでとにかく眠い。もう何時間起きてることか。
日本とは違う車線が変な感じ。ぼーっと、遠くに見える町の明かりを眺めた。
そしてそしてMilano Centrale (ミラノ中央駅)、着。
感動もつかの間、宿を探さなければ。
もちろん、予約は取ってある。
ただ、ホテルから送られてきた地図がテキトーMAXで、どの道を行けば良いのかまるでわからない。おまけに暗くて寒い。あまり人がいない。
★この時代、iphoneというものは無かった。
いや、アメリカでは製造販売はされていただろうが、日本市場にはiphoneの初期モデルが参入して4ヶ月程度だったので、ユーザーは少なくとも私の周りには皆無だった。
駅周辺にはタクシーの客寄せや花売りの黒人さんがうろうろしていてコワかったが、
人に道を聞く以外どうしようもないので、意を決して聞きまくった。
トータル、15人程は聞いたと思う。
でも、ほとんどみんな、本当に優しかった。
カタコトのイタリア語のアジア人に親切に道を教えてくれた。
(大半が間違っているとしても)
私たちが困ってる風に見えたのか、向こうから話しかけてくれるsignora(おばさま)なんかも居たりして、感激。
途中、住宅街で綺麗な格好をした50代位の夫婦が親切に道を教えてくれていた時、物売りの黒人男性が私たちの輪に入ってきた。
彼は、私たちが駅周辺に居るころに見かけて、気にかけてくれていたらしい。
しかし、その夫婦は彼を見るとすぐにガン無視し、追い払うような空気感を出し、彼は心なしかシュン・・としたように去って行ってしまった。
夫婦は私たちに「この辺りはね、移民や不審者も多くいてペリコローゾなの。だから十分気をつけてね。とってもペリコローゾ!」
危険という意味のペリコローゾを2回言われ、改めて気も引き締まったが、私はさっきの黒人さんが本当に気にかけてくれていたような気がして、すこし切なかった。
ミラノの実情を垣間見た気がした。
夜23:00頃、命からがら到着。
2時間以上を費やして探しまくった。
ホッとすると突然空腹を感じ、水もないのでボロボロの体に鞭打って外に出ることに。
近く(だと思ってたら遠かった)マクドナルドに入って水とナゲットをGET。
ぼちぼちおいしかった。
レジの横にスーツを決め込んだ黒人のお兄さんが仁王立ちしていて、何事?!と思ったが、警備員だった。
結局、深夜0:30に夜のミラノを徘徊していた(笑)
ホテルはなんとも小汚くて不衛生感まるだし。
エレベーターのボタン、0と9しかないし。
でも、日本人の宿泊者が居てちょびっと安心した。
2秒で寝れそうだったので明日の準備をサッサと済ませ、ようやく就寝。
ハードな1日であった。
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